ミッドサマー

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勝ちに不思議あり、
負けに不思議なし。
は、
故野村克也氏の言葉。

映画の興行に当てはめると、
大ヒットに不思議あり、
惨敗に不思議なし。

本作のコロナウイルスにも負けないヒットに関しての不思議、
を2点ほど。

1 疑い

現実の世界から一周まわったセカイ。

ヘレディタリーを観た時に、
近々、こういう作品を撮るんだろうという予感はしていた。

周りの20代前後のグループが、
ケラケラ笑いながら観ていたので、
健全な感覚に少し安心した。

絶望の淵に立たされた人にとって、
気にも、とめてくれない法律や、
見て見ぬふりをするルールなんて、
追い込まれる素材に過ぎない。

全員でこちらを気にかけてくれる人たちが、
独自のルールで集団生活をしていても、
合法ではなさそうな死生観を持っていても、
目の前の現実よりも、
そちらに希望を見出すケースがあっても不思議ではない
、いや不思議、
ん?
不思議ではない。

ひと昔前までは、少なくとも日本の一部の村社会では、子どもに対しても普通に行われていた風習。

と考えれば一定の人数の共感するであろうひとたちはSNSの騒がれ方に興味シンシンで映画館に行く。

2 悟り

珍品(セカイを内容にしている)は忘れた頃にヒットする。

ベルイマン(ベルイマンはまともで、別枠ですが、一応、作品の性質上、入れておきます)
パゾリーニ、ホドロフスキー、
リンチ、トリアー、ハネケ他、
一定の周期で論理的に理解不能な、
予想外の珍品がヒットするタイミングがある。

ヒットの大凡の流れは、
意識高い系映画→
スピリチュアル系映画→
宇宙難解系映画→
おバカ系映画→
ウェルメイド系映画→
意識高い系・・
と回って回って何周もして、
流行り廃りを繰り返してきた。


そんな流れの中でアクション大作がブームになり、
ヒューマニズム映画が騒がれ、
そして世界が疲れてる時にスピリチュアル系珍品映画がブームになるような気がしないでもない。

最後に。

古今東西で様々な人々に石を投げられ、
足蹴にされてきた【イノセンス】を、
ドアの向こうから声が聞こえてくるような映画館ではなく、
いわゆるメジャーといわれるようなシネコンで、
エンターテインメントとしてアップグレードさせる体に持ち込んだのは、
一定の評価があってもいいと考えます。

最後の最後に。

上記の監督たちよりは、
純粋マジメ野郎、
または、
それを装う事に長けた人なんだろうなアリ・アスター。

A24はトップが交代して、
カロルコやミラマックスのようになってしまう気配ですが、
もう少し踏ん張って欲しいです。

マルパソのようにファンドとは一定の距離を置いて、
なおかつ集金力がある広告塔のヒーローが必要なんて、
かなり現実的にはハードルが高いでしょう。

本当の最後の最後に、

ビョルン・アンドレセンにおどろきました。


 

インスタント・ファミリー~本当の家族見つけました~

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インスタント、つくりものってわかってるのに、涙が出てくる。

ファミリーがつくりもの、、
ではなくて、

インスタントヒューマン、
不自然、不完全なひとたち、
私たちのような、
どこにでもいる人たち。

ぎごちなくて、脇が甘いのは、
正直な証拠。

正直な人たちの不器用さに、
涙が出てくる。


 

Fukushima50

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さまざまな意志は強く感じる作品。

後半の流れは、下記のように言われても仕方ない。

昭和は、
原爆を落とされたまま、
特攻をさせたまま、

平成は、
震災もそのまま、
放射能もそのまま、

令和も?
コロナもそのまま、、、。

でも、がんばりました。
がんばりました?

現場でがんばった人たちに、
敬意を表して、
もうあなた達のような想いはさせない、
特攻はさせない。

現場への批判と、
指揮システムへの批判は別次元。
クニ、グンブ、トウデンで括ると見えるべきものが見えなくなる。
修正すべき点が見えなくなる。

決死隊なんて不要な仕組みをつくる。

何度も劇中で出てきた、
若い人たちのため。

若い人たちのためになってる作品?

それを決めるのは観客ひとりひとり。

そのためにはもっと多数の作品を作られないといけない。

なぜ?

なぜ、若い人のために作らないといけないの?

【命をかけて】
かけさせているのは誰?何?
その根源を潰さないと、
この一見美しい言葉はなくならない。

もう決死隊は出さないため。

そのために、
組織としての、
考え方、文化、判断のしかた、
何が良くなかったのか、
反省、修正すらできない自分も含めた一部の昭和世代の、
悪しき習慣をリセットするため、
ではないのか?

中止はありえない、
は、
ありえない。

ありえないデータは?
ありえない根拠は?

同じことを繰り返さない為の、
意志を感じる部分と、
感じない部分があった、
ただ、それだけ。