『ベルファスト』芝居は素晴らしいが心に響かない理由

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何故、
琴線に触れないシーンと、
触れるシーンが混在してるのか。
惜しい!
を中心に。


ベルファスト15のバディ目線で描いている。
のか、
ベルファスト15のバディを第三者目線で描いている。
のか、曖昧。
冒頭の暴動も論理的には、
旧新の対立は理解できるが、
感情的に繋がっていかない。
(脱線します!→登場人物それぞれの表情を5秒以上のカットにすると、テンポが悪いと言われがち。
セリフを言ってる本人を見せるか、
リアクションの相手で見せるのか、
編集するのも長くても3秒程度以下と限定されてくると、
本作の場合はとにかくバディに寄らないといけなくなる。
バディ向けが少ない分、腑に落ちてこないシーンが多かった。)

感情が繋がらないという事は、
全体ストーリーにももちろん影響する。

小競り合いのはずが、
何故、
いまだに歴史の教科書に載る程、世界中を巻き込む闘争になっているのか、
ヴァン・モリソン、U2に助けを求めるにも限界がある。

3丁目の夕日的にするならする、
しないならしない、、、。

少年たちをクールに描くでもなく、、、。

ケネス・ブラナー監督作品は、
こういうのが多い。

監督自身が役者だから、ここは役者にカメラを向けたいというのは理解できるが、
本作は、ベルファスト15のバディ目線で統一してれば、
アカデミー賞作品賞を獲れたかも。

おじいさんから言われる事、
おばあさんに話す事、
ここはバディ目線になっていたから腑に落ちた。

後半の暴動→洗剤を盗む→母親に叱られる→家族でハグ→友人もハグ。
我が子に【まとも】な事を体感させる為に、戦火も暴力も関係ない!
正義?と正義?が殴り合っている中を突進する母親!
正義よりも【まとも】が大事。

ここもバディ目線で、
泣きそうになる。

その後の父ちゃん唄う、かあちゃん踊る、バディはどういう気持ちで見てるの?
もっとバディを見せないと、、、、琴線に触れない。
(もちろん、最後のバディの寄りの1カットで充分という方も多いはず。)

なので、
おばあちゃんの効果がまあまあになった、、、残念。
まあまあにはなってしまったが、おばあちゃん(母親たち)の目をプーチン、ゼレンスキー、バイデンはまともに見れるのか。

誤解なきよう最後に。

5秒以上かけても、
ダメなカットの連続の、
つまらない作品。

数コマだけで、
語り切るカットが素晴らしい、
傑作。

両方たくさんある。

『ベルファスト』芝居は素晴らしいが心に響かない理由



 
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