『オフィサー・アンド・スパイ』映画界にも影響している現在進行形の問題の原点
ようやく公開。
ポランスキーがドレフュス事件を撮るらしい。
え?
そもそも撮れるの?
公開できるの?
タイトルは、
『私は弾劾する』らしい。
どこまでやるの?
あの有名な絵。
サーベルを折る側を、
全取っ替え(不正の大小を問わず関係者全員が責任を取る)できなかった歴史、
を現代まで描いてるのか。
折られたドレフュスを、
ドガ(D・ホフマン)風に、
描いてるのか。
なぜ、
いまだに折る側が勝ち続けるのか。
結果、オフィサー・アンド・スパイ、、、、。
オフィサーアンドスパイ、、、。
ローナン・ファローの、
命懸けの活動に敬意を表して、
というのを前提として。
ストーリーテリングの堅実さに改めて驚く。
ピカールの軍の仕切りに対する厳格さ、軍人としての矜持、
上司や部下の正義のベースはヘイト、その中の微妙な温度差。
難病もサイコも必要としない、
普通の生活に巣食っていく、
暗さ悲しさで、袋小路に追い込まれていく登場人物を描くポランスキーは健在だった。
それらを、
難しそうに見せないで、
人物にカメラを向けるか、
相手に向けるか、
それとも手元に?
小道具に?
が的確なので、
迷う事なくストーリーを追える、各キャラも腑に落ちたものが積み上がっていく。
シナリオ、演出、芝居が、
ハイレベルで揃ってないと、
不可能な見せ方。
いつものポランスキーなら、
更に、おもしろい変化球を、
投げてくるが、今回は無し。
悪辣な変顔も、
善人の大げさな芝居も不要。
ハラスメントと作品のクオリティは別、
とは言えなくなってきた昨今(当然、ハラスメントは犯罪、警察検察司法のプロに然るべき対応をしてもらわないといけないでしょう。)、
さすがにもう見納めか。
数年前の、
カンヌ映画祭でポランスキーを逮捕に来た警官隊が、
映画祭は治外法権と、
警察介入を許さなかった映画祭側の権利とか義務とか、
自由や責任の意識まで、
今後日本映画界が辿り着く事があるのだろうか、
とまでは言わないが、少なくとも表現の自由とか、
公共の福祉とか、犯罪には刑罰をとか、
現在のムーブメントに加えて、
キャストもスタッフも欧州的な国家資格的な制度、
米国的な時間積み上げ制度等、
仕組み化までの具体的な話しが始まらないか、、
なんとかならないか、、。
全取っ替えできなかったドレフュス事件の効果は大きい、、、はず。