2010年05月22日23:59
クロッシング
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2001年、ゴビ砂漠で彷徨い父を待ちながら凍死したチョルミン少年事件、
そしてニュース映像等でしばしば見られる
脱北者が各国の大使館に駆け込む事件、その背景にある深刻な事実を
ありのままに見せている。
人が人だけを描く、そのシンプルな手法を徹底させる事によって、
いかなる民族や人種、政治的、宗教的思想の立場から
プロパガンダ映画だとか、政治的作品だとか
言わせない、そして、どんな立場にいようと、まずは一人の人間だろと
想起させる作りを目指しているのだろう。
と同時に一般の観客にとっては、想像を絶する現実に
自分の今、置かれている状況が、あまりに満ち足りているという事実を
突き付けられる。
この磨きに磨かれた語り口の滑らかさと、描かれている事の辛辣さのギャップで
出てくる涙は普段と流通経路が違っていたような気がした。
足の爪先から膝、腰、胸と体に水がどんどん溜まっていって
眼からオーバーフローしている・・・
泣くシーンでもないのに、ラストシーンでもないのに止まらない・・
この語り口の繊細さは、悲惨な現実がすぐ身近で起きている事を
体で実感しているからかも知れない。
ソウルとピョンヤンを
日本に例えるとフォッサマグナで分断された東京と大阪、
いや距離的には東京と静岡位の距離で起きているのだ。
東京から静岡に行くのに、東北を抜け、北海道に渡り
ロシアの国境を越え、そこの氷原で彷徨い、父を待ちながら
凍死した少年・・・・・・
また水が溜まってきたので終了
そしてニュース映像等でしばしば見られる
脱北者が各国の大使館に駆け込む事件、その背景にある深刻な事実を
ありのままに見せている。
人が人だけを描く、そのシンプルな手法を徹底させる事によって、
いかなる民族や人種、政治的、宗教的思想の立場から
プロパガンダ映画だとか、政治的作品だとか
言わせない、そして、どんな立場にいようと、まずは一人の人間だろと
想起させる作りを目指しているのだろう。
と同時に一般の観客にとっては、想像を絶する現実に
自分の今、置かれている状況が、あまりに満ち足りているという事実を
突き付けられる。
この磨きに磨かれた語り口の滑らかさと、描かれている事の辛辣さのギャップで
出てくる涙は普段と流通経路が違っていたような気がした。
足の爪先から膝、腰、胸と体に水がどんどん溜まっていって
眼からオーバーフローしている・・・
泣くシーンでもないのに、ラストシーンでもないのに止まらない・・
この語り口の繊細さは、悲惨な現実がすぐ身近で起きている事を
体で実感しているからかも知れない。
ソウルとピョンヤンを
日本に例えるとフォッサマグナで分断された東京と大阪、
いや距離的には東京と静岡位の距離で起きているのだ。
東京から静岡に行くのに、東北を抜け、北海道に渡り
ロシアの国境を越え、そこの氷原で彷徨い、父を待ちながら
凍死した少年・・・・・・
また水が溜まってきたので終了
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