クロッシング

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2001年、ゴビ砂漠で彷徨い父を待ちながら凍死したチョルミン少年事件、
そしてニュース映像等でしばしば見られる
脱北者が各国の大使館に駆け込む事件、その背景にある深刻な事実を
ありのままに見せている。

人が人だけを描く、そのシンプルな手法を徹底させる事によって、
いかなる民族や人種、政治的、宗教的思想の立場から
プロパガンダ映画だとか、政治的作品だとか
言わせない、そして、どんな立場にいようと、まずは一人の人間だろと
想起させる作りを目指しているのだろう。
と同時に一般の観客にとっては、想像を絶する現実に
自分の今、置かれている状況が、あまりに満ち足りているという事実を
突き付けられる。

この磨きに磨かれた語り口の滑らかさと、描かれている事の辛辣さのギャップで
出てくる涙は普段と流通経路が違っていたような気がした。
足の爪先から膝、腰、胸と体に水がどんどん溜まっていって
眼からオーバーフローしている・・・
泣くシーンでもないのに、ラストシーンでもないのに止まらない・・

この語り口の繊細さは、悲惨な現実がすぐ身近で起きている事を
体で実感しているからかも知れない。
ソウルとピョンヤンを
日本に例えるとフォッサマグナで分断された東京と大阪、
いや距離的には東京と静岡位の距離で起きているのだ。

東京から静岡に行くのに、東北を抜け、北海道に渡り
ロシアの国境を越え、そこの氷原で彷徨い、父を待ちながら
凍死した少年・・・・・・

また水が溜まってきたので終了



 
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